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ベルリオーズのモーツァルト評
海老澤敏「モーツァルト像の軌跡〈下〉 (1977年)」から
『ベルリオーズがモーツァルトのト短調交響曲について書いた文章はシューマンと捉え方と共通項を示している。「モーツァルトのト短調交響曲k.550、この繊細さと天真爛漫さの典型はこの度はそれにふさわしい様式で正確に演奏されて、もっぱらベートーベンだけを熱烈に讃美している人達の心を奪ったものだ。メヌエットは繰り返された。この楽章のトリオ以上に優美さと高貴さとで心を奪うものを聴くことは実際難しいことだ。それにたとえこれほど完璧な演奏の見事な魅力を欠いたとしても、その効果は決して失われなかっただろう。と思う」』
又、「ベルリオーズ回想録〈1〉 (1981年)」からまとめてみると。
「ドンジョバンニ」や「フィガロの結婚」がイタリア語で歌われ、イタリア人によってイタリア劇場で上演されたことがある距離感を感じたと語っている。
又モーツァルトの母音唱法を悪評している。(ドンジョバンニ第2幕ソプラノのドンナ・アンナが歌うアリアの部分 il cielo ancola sentira a-a-a-というところに対して)
これもベルリオーズが18世紀の時代のモーツァルト表現(アリア、オペラの作り方)を良く知らなかった証といわれている。
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